2010年3月末、私にとってのエサレン出逢いの端緒となった小島先生とおよそ7年ぶりに再会を果たし、 セッションを受けてきました。 自分は以前、エサレンを「あまたあるマッサージとの一線を画する」と感想した者ですが、 今般の先生のセッションは以前ともまた異なった一層ダイナミックな展開をみせ、 小島先生との再会を果たすまでに出逢った他のプラクティショナーさんともまた違った、 エサレンにおける小島先生ならではの個性と、 第一人者ならではのセッションを改めて実感できた思いでした。 エサレンでは導入が肝腎で、扉をいきなり開けるのではなく、 そよ風が漂ってくるかのようなささやきから始まりますね? 私自身、女性プラクティショナーによるセッション経験しかありませんが、 小島先生以外のプラクティショナーさんを改めて思い起こしますと、 茶話会で会話を重ねているかのような心持ちであったような気がします。 もちろん、そういったプラクティショナーさんによるセッションにおいても、 心の弾む会話を楽しむような感覚でエンジョイできるのです。とても楽しいと思います。 しかし、小島先生は小生にとって近い世代であることも手伝ってか、 さらに同級生に近く、喩えるなら「幼なじみだからこそ一層弾む感覚」といえるでしょう。 そこに男女の差はあっても、それをモノともしない、いうなれば 「何の束縛も受けない自由な感覚で、 あたかも無邪気に野山や海辺をかけめぐるような、 そんなセッションを楽しめた」 ような気がしたのです。 大きなストロークに特徴のあるエサレンですが、 今回の小島先生のセッションには、さらに躍動感が伴っていたと感じました。 当日を思い起こすと、自分の意識を超えて身体が開放され、心身一体となり、 まるで大舞台で演舞しているかのような感覚にとらわれていました。 エサレンではしばしばプラクティショナーの方が「セッションを受ける側を愛おしむ」と 表現されますが、小島先生のそれは、さらに熱く能動的な強さをも覚えました。 実を言えば8年前、初めてセッションを受ける“前”には、内面をさらけ出すことに 若干不安な気持ちあるにはありました。例えば自分にとって快感とも言える感覚でも、 他者にとっては下心とも受け取られかねない、との思いさえ抱きました。 また、そう思われたら気分を害さないだろうか? やはり異性ではダメなのか、 という風に…。 ところが、小島momo先生のセッションを受けますと、そんな抑制的な気持ちを 持つことの方が、むしろ 「つまらないですよ。セッションを楽しんでいないのではありませんか?」 と、反対に問われているような気がするのです。そして 「楽しまなくては損ですよ~!」と話しかけられるような感覚にさえなるのです。 隠しごとなく自分を許す感覚とでもいいましょうか…。 7年前にセッションを受けたときには、セッションの最中に半覚醒の状態にも陥った自分でしたが、 今回のセッションではセッションそのものをエンジョイし、終了時には先生とお話したひと時を、 すーっと潮が引くかのような形で、現実へといざなっていただけたような気がします。 そのためセッション後も感覚がすっきりと澄みきっていたように思います。 小島momo先生ご自身が、機会あるごとに米国のトレーニングにて研鑽に努められきた背景が、 男女を超えた『人』としての理解へとつながっている…。 だからこそ施術を受ける側が男性であれ、女性であれ、他のプラクティショナーさん以上に、 当たり前のように愛おしむ気持ちでセッションに臨まれ、 それが自分にも伝わったのではないだろうか、と思いました。 90分間の小旅行は、すてきな非日常でした。 そして、7年の月日を経てなお期待を裏切らずに、一層の輝きと新しさを伴って、 自分を迎え入れてくれたような、そんな気がしました。 小島momo先生、ありがとうございました。 またいつか再会を期したいと願っております。
「アシュタールの言葉は具体的な行動として分かりやすい」
自分が心から感じる愛を、3つのEを持って表現していくことを学ばせていただきました。 最近、外にある現象に対して、自分がどういう対応をするのが心地いいのか、という視点で物事をみるようになってきています。 今回のアシュタール […]